この本は先生たちへのエールです!
私は小さい頃から反抗的な子供でした。先生の指示に従わず、いつも怒られてばかりいました。小学1年生の課外授業で、牧場に行って馬の絵を描く課題を与えられたときのことです。私はいつものように先生の指示など聞かず、時間いっぱい遊びほうけていました。「残り10分」というアナウンスで我に返り、あわてて絵筆を出しましたが、間に合うはずもありません。追い込まれた私は、画用紙一面に「うま」と文字を書きました。友達に「それは絵じゃなくて習字だ」と言われましたが、「うま」の文字の周りに様々な色を塗れば立派な絵だと主張し、そのまま提出しました。その後、担任の先生から大目玉をくらったのは言うまでもありません。
小学5年生のときは野球部に所属していました。当時は野球がとても人気があり、6年生だけでも30人近くの部員がいました。下級生はランニングと球拾いしかやらせてもらえず、私の反抗心が爆発しました。「野球部なのに野球をやらせてもらえないのはおかしい!」私は5年生の部員全員を説得して、第二野球部をつくりました。もちろん学校の許可はとっていません。放課後になると、5年生だけで近くの公園で練習しました。監督もコーチもいないので、練習メニューは適当でしたが、とにかく楽しくて、毎日、日が暮れるまで野球をやりました。しかし、第二野球部をつくるなど許されるわけもなく、首謀者の私は顧問の先生にコンコンと説教されました。
中学生になり思春期に入ると、私の反抗心はピークを迎えました。傍若無人な言動にますます拍車がかかり、毎日のように問題行動を繰り返しました。そんな私にも怖れる先生がいました。その先生は常に竹刀を持っていました。私はその竹刀で、ことあるごとにこづかれました。問題行動を起こしたら「ビシッ!」。ひどいときは「おはよう」の挨拶がわりに「ビシッ!」でした。
竹刀教師は野球部の監督でした。練習中は竹刀を使わずに、ノックバットを使ってこづいてきました。練習はとにかく厳しく、怒鳴られこづかれ、しごかれました。とうとう我慢できなくなった私は、中学2年生の冬に野球をやめようと思いました。これ以上、理不尽な目にあいたくなかったし、一生懸命頑張ることをカッコ悪いと思ったのです。私は部活をサボるようになり、友達の家に入りびたってダラダラ過ごすようになりました。
ある日の日曜日、部活に行くと嘘をついて家を出て、いつものように友達の家に行きました。夕方遅くまで遊んで、ようやく家に帰ったところに竹刀教師が現れました。呆然としていると、そこに父が加わり、いよいよ雲行きがあやしくなりました。すべての事情を知った父は激昂し「根性をたたき直してやる!」と私を庭先に引っぱり出しました。目の前に竹刀教師、後ろに鬼父。これを修羅場と言うのでしょう。
「お父さん、ちょっと待ってください!」声の主は竹刀教師でした。「この子は、やればできる子です!」竹刀教師は父と私の間に割って入りました。「この子は絶対によくなるから、私に預けてください。もう一度、野球をやらせましょう」その言葉を聞いて、父は少し冷静になったようでした。「先生はああ言っているけど、お前は野球をやる気があるのか?」私は涙でくしゃくしゃの顔で、「やります。もう一度、野球をやらせてください」と頭を下げました。1年後、中学3年生になった私は野球部のレギュラーになりました。そして竹刀教師にこう言われました。
「津村、今日からお前がキャプテンをやれ。お前がリーダーになってチームを引っぱれ。お前なら必ずできる」
小学生の頃から問題児と呼ばれていた私が、なんとキャプテンに指名されたのです。
「はい!」私は奮い立ちました。
私は小さな頃から、自分のありあまるエネルギーをどう扱っていいのかわかりませんでした。きっと、それが問題行動や反抗的な態度になって表れたのでしょう。私は野球部のキャプテンになることで、初めて自分のエネルギーを正しいことに使う経験をしました。同時に、リーダーシップやチームへの貢献や仲間の大切さを学びました。
もし、あの先生に出会っていなかったら? もしあの日、先生が私の家にこなかったら? 私の人生はどうなっていたのでしょう。おそらく曲がった方向に進み、まっとうな生き方をしていなかったかもしれません。竹刀教師は私の大恩人です。ただし、竹刀やノックバットを使った体罰や理不尽なしごきを肯定しているわけではありません。あれは昭和という時代がつくり出した副産物だったと思います。
30年の時を経て、メンタルコーチになった私は、何の因果か学校に出入りすることが多くなりました。問題児だった少年が、講演やワークショップや特別授業をやらせていただくようになり、1万人を超える子供たちと関わってきました。そして、たくさんの先生にお会いする機会も得ました。
ステキな先生がたくさんいる一方で、疲弊している先生も少なからずいます。「将来は先生になりたい」と夢を語った高校生に、「教員はブラックだからやめとけ」と言った先生もいます。おそらく、その先生は正直に話しただけでしょう。それほど、今の学校は閉塞感で息苦しくなっているのかもしれません。
子供たちは、12歳頃になると思春期に入り自我が芽生えます。そして「自分とは何か?」という問いへの、答え探しの旅が始まります。子供たちは旅の道中で出会う人を通して学び、徐々に自我を確立させていきます。この道中で、どんな人に会うか? それによってその後の人生の行き先が決まります。
子供たちにとって、先生の存在は重要です。先生は子供たちの鏡なのです。だからといって、完璧な先生になる必要はありません。不完全であるひとりの人間が、果敢に挑戦する姿を見せることが思春期の子供たちを勇気づけます。
コーチングで、すべてが解決するわけではありません。しかし、思春期の子供たちの心を軽くすることはできます。同時に、先生の心を軽くすることもできます。先生が変われば、子供たちの未来が変わります。この本は先生たちへのエールです!
スクールメンタルコーチ/津村 柾広